なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。 腹から出たとき息が絶えなかったのか。
「ヤコブの家よ、 イスラエルの家の残ったすべての者よ、 生れ出た時から、わたしに負われ、 胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、 わたしに聞け。
主よ、彼らに与えてください。 あなたは何を与えられますか。 流産の胎と、かわいた乳ぶさを 彼らに与えてください。
ああ、わたしはわざわいだ。わが母よ、あなたは、なぜ、わたしを産んだのか。全国の人はわたしと争い、わたしを攻める。わたしは人に貸したこともなく、人に借りたこともないのに、皆わたしをのろう。
わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。 あなたはわたしを母の胎から取り出されたかたです。 わたしは常にあなたをほめたたえます。
また溶けてどろどろになるかたつむりのように、 時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。
これは、わたしの母の胎の戸を閉じず、 また悩みをわたしの目に隠さなかったからである。
なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。 なにゆえ、乳ぶさがあって、 わたしはそれを吸ったのか。
それで、わたしはなお生きている生存者よりも、すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。
しかし、この両者よりもさいわいなのは、まだ生れない者で、日の下に行われる悪しきわざを見ない者である。
彼がわたしを胎内で殺さず、 わが母をわたしの墓場となさず、 その胎をいつまでも大きくしなかったからである。
たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。
またこれは日を見ず、物を知らない。けれどもこれは彼よりも安らかである。